TAKE-BOWのブログ

京都 路地裏系ギタリストtake-bowのブログ

barilin tachelesにて

[intro]

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Tachelesの中で、演奏をしていた。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%BF%A5إ쥹

特に、タヘレスの歴史なんて、全く知らなくて。

はっきりいって、僕は興味ない。

そんなことは、どーでもいい。

あー、カッコイイよねーこの建物、すげーとかさ。

そんなわけでベルリンに滞在中のころ、結構、長居してたタヘレス。

僕が、いた頃のberlinは、ギリギリで良い感じのberlinだったんじゃないかと思う。

自分勝手に作ったものが、自分本位で、人の目に触れ、僅かだけど、その対価として、

食物や酒が振舞われ、身近な人たちに笑顔がもたらされるっていうかね。

そして、その笑顔がまた、そこに居合わせた、小さなコミュニティーを少しずつ、活性化させる。

そんなことが、僅かだけど残っている頃に、何故か、berlinで演奏していた。

大好きな場所だったから。

ただ、それだけの理由で演奏をしていた。

そこの1階にBARっていうか、CAFEっていうのがあって。

えーと、確か・・・、「ZAPATA」っていう名前の店。

そこで、週3回くらい演奏してた。

タヘレスに、何とかして辿り着いて、

オーガナイザーを何とか探して、BANDとブッキングしてくれって交渉をしたけど、

当方、無名極まりない路地裏ギタリスト。

全く信用が無い(当たり前や)ので、BOOKINGは組まれない。

オーガナイザーのルーシーに直接掛け合っても、

「私は忙しいから。」

で、バッテリー駆動のFENDER AMPと、ストラトエレアコを持って、乗り込んだというわけです。

早い話が実力行使というやつであります。

まー、さすがに若かったっていうかさ。(今でも、やりかねない。っていうか、やってるやろ。)

路地裏で仕入れた、ワークパンツにロンドン・パンクスタイル・ブーツ。

決め込んでんのに、ボロボロのシャツ。

背中には、2本のギターとAMP。

開口一番。

「GIVE ME 10MINUITES!!」

CAFEにいた、全員が振り向いた。

モヒカンのやつらの鋭い眼。

「hear my guitar,baby・・・」

ゆっくりと、舞台に上っていった。

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上の写真はタヘレスで、演奏してたときのやつ。

客席にいる、知らない人にカメラ渡して、撮ってもらったやつじゃあないかと。

タヘレスは、建物自体は、20世紀前半に大型デパートとして建てられてたみたい。

僕が行ったころはアーティストのためにアトリエや劇場、ブティックとして格安で貸し出してて。

えーと、僕の場合は、そこで飲みすぎて、近くに安いホテルがあったから、

すみやすかったってだけで。

また、そのホテルがまたすごくてさ。

それは・・・、えーと、それから、何年も経って日本に帰ってきてから連れってッてもらったんだけど、

大阪の個展(っていうのかな、ギタリストにはよーわからん。ライブしかわからないから。)

にすごく似てた。

ベッドが沢山あって、ほの暗くて。

思い出すことが多かった。

ま、そんなところで、毎晩、演奏が終わった後、寝てたわけやね。

荷物は、ベッドの足にチェーンでくくりつけて。

ギターを抱いて。

毎朝、起きたら、まだ生きている自分を確認して。

タヘレスのこと。

弾きたいって思ったところで弾いただけ。

それが、いい感じやったら、嬉しいやんか。

そんだけのことやないかな。

[A]

「Hey!!This guy performing in Tacheles!!」

Marc Ribothttp://marc ribot.com)がそう、大きな声で言った。

berlinでは、どこで、演奏しているのかと聞かれたから。

ただ、それだけのこと。

その日、一緒に演奏していた、そのときのバンドのメンバーが一斉に振り向いた。

Anthony Coleman

Anthony Coleman - Wikipedia, the free encyclopedia

と、Ned Rosenbergだった。

PARISのThéâtre de la Ville, Théâtre des Abbesses - Paris

の隣のcafeで打上げのとき。

ULTIMA VEZの打ち上げで。

連れて行ってくれた、ダンサーのBirgit Stellbrinkは、その状況に頭をかかえてた。

アパートに帰ったあと口論になり、彼女は倒れた。

やりきれないので、煙草を吸って、BARに僕は出掛けた。

その後、河原町丸太町でもう一度、演奏され、CD化される元になったJAMを二人は作ることになる。

それは、その後「villa fragile」という場所になる。

[A]

京都 クラブ メトロ。

傍らに、ハン・ベニンクがいた。

机に置いた、プリペアドされた、YAMAHA APXのエレアコ(改造済)は、

彼の足音を繊細に感じ取りながら、僅かだけど、軋み始めてる。

シンバルを擦る音。

弦にはさまれた、バターナイフは微かに、揺れてる。

ハンと本国で当時、よく共演していた

Micheal Schumacher

Michael Schumacher : dancer

(F1や、無いほうの。。ダンサーの方のやで)が、たまたまいてて。

ステージの下で、嬉しそうに笑ってた。

[B]

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フラメンコ。

スパニッシュ・ギターの技術を間近でみる機会に恵まれた。

驚いた。

何もかもが、僕がそれがギターの奏法だと思っていたものと、違っていた。

プライベートな場所だったけど、思わず、拍手した。

心が揺り動かされたからだ。

ガット ギターがこんなに大きな音が出ると、知らなかった。

大きな音というより、ダイナミクスレンジの広い楽器だと、気付かなかった。

少しだけど、奏法を教えてもらった。

「踊り子をこれ一本で支えなあかんからな。」

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僕よりも、30年は長く生きている、ギタリストは静かにそう言った。

いつもと変わらない、何気ない口調で。

その僅かな言葉で、沸騰しそうになるくらいの些細な事柄があった。

というより、僕は、全身の血が、逆流してしまうのではないかと、思った。

僕には、多くの時間と作業を一人のダンサーと共にした、自分自身でも中々捉えられない、経歴が確かにある。

ダンサーと共演する上で、一番大切な動機と理解が僕には欠けていなかったか?

新しいものを作りたい、自分の音を確立したい。

そのことに熱心になりすぎて、もっと根本的な、大切なことをないがしろにしていなかったか?

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帰る途中で、少しだけど指を動かしてみた。

親指はUPでストラム。

中指で、ダウン ピッキング(勢いをつけて、目標の弦を弾く)。

UPでストラムした後の親指をホールドして、ダウン。

3連をつくり、繰り返す。

ラスクアドの基礎らしい。

僕には、とても難しい。

初めてのことばかりで、戸惑う指をなんとか、言い聞かせてる。

「踊り子をこれ一本で支えなあかんからな。」

そういった、彼の伴侶は、彼より少しばかり年上のフラメンコ・ダンサーなのだそうだ。

「俺には、無理だった。出来るわけがない。」

言葉とは、裏腹の作業が指の中で始まる。

親指はUPでストラミング。

中指で、ダウン ピッキング(勢いをつけて、目標の弦を弾く)。

UPでストラミングした後の親指をホールドして、ダウン。

3連をつくり、繰り返す。

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[A]

ま、そんなわけで。

色々、ありますけど。

ギター弾いてるってところは変わらないので。

明日は、アベガベの編集です。

よろしくー。

おやすみなさい。

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