うつろう、この世は即して興
この世にあらんと生きる者
この世をば、我が世と思う、自我仰ぎ
他者の、狭間に我、浮かぶ
雲雨、雪となりけり、季のはじめ
うつろう、この世は即して興
ここ最近の、自分の事、もう少し、かっこよく決めてみたいところですが、まあ、こんなところです。なんか、イマイチやな…。まあ、そんな訳で。
旧暦正月からの、僕は、初Liveです。
2月は何せ、芸事初めに良いそうです。
そんな中、何よりこのliveに参加出来ること、嬉しく思います。
立ち上げる日々です。
少しずつ、身体とギターを。
Megさんとは、5回目の共演になります。
柳川さんとは、名古屋、なんやでDUOが初共演でしたし、2回目の共演になります。
そして、初対面になります、照内さんとは、今回、初めてです。
いつも、路上で良く顔を合わせていた筈なのに、いつも、Live Houseで、対バンをしていたのにも関わらず、クリストファーとは、今回、初共演になります。
そして、柳川さん、Megさん、照内さんの、ツアーの最終日になります。
京都で赤いストラトキャスター抱えて、お待ちしてます。
よろしくお願いします。
take-bow
舞台では、僕は随分、アガってる。
久しぶりにCDが、リリースされます。
緊張して本番に望んだ、名古屋は、「なんや」で、柳川芳命さんとMegさんと。
よろしくです。
これは、Megさんと、Duoを初めて、やった時のものです。
「いつも、舞台に上がる時には、相当、僕はあがってるよ。」
「え、そうなんですか?」
と言われることが多いので、少し書いてみようかと思います。
「気持ちがアガりすぎてヤバいぜ・・・」
とかなら、良いですし。
「アドレナリン、120%だぜベイビー、ドーパミンも200%だぜ!!」
ならカッコイイですが。
なんせ、ドキドキして、ただ、緊張しているだけです。
高校生の頃に、人前で、あまりに緊張するので、少し、お酒を入れてから、演奏したことがありました。
10代の方々が集まる、フェスに出演したときに、ウイスキーの小瓶を酒屋で買って、呑んでから、演奏したことがあったのを良く覚えています。
その時、何故か、ベスト ギタリスト賞をいただいたことに、深く反省しています。
毎日1回必ず、その時間があり、今も困っています。
呑んで演奏しても、あまり、面白くないので、それは、あっさり辞めて、それから、take-bowとクレジットされているLiveでは演奏前にお酒を飲むことは無くなりました。
まあ、大人(?)になって、BARで弾いてと言われれば、僕は飲んでてても弾いていることはあるのですが。
昨夜の、モリーのように。
「楽しかったー!」とかね。
さて、本題(?)に戻ります。
なんでお酒を飲まない演奏の方が良いか。
「ガチガチに緊張していて、思いがけない間違いをするから。で、そのミスをシラフの覚醒している脳で捉えたときに、ヤバいって思ってスリリングな状態になり。もっと、奧にいる剥き出しの自分に辿り着けるから。」
が理由かなと、なんとなく思います。
特にフリーの即興演奏の時には、やっぱり、そうでないと、僕は、自分がその状態になっていなくて面白くないです。
ただ、あまりに緊張していても、やはり、演奏出来ないので、Live前には、ストレッチする時間を、ライブに来ていただいた方と話している間に、コツコツと作っている今日この頃です。
(ただ、問題点もあり、お酒が好きな・・・、といっても日本酒は、体質的に飲めないので、焼酎とか飲んでいますが。打ち上げで、飲み始めるから、深夜まで呑んでしまうことに困っています。やれやれですが、銭湯に足しげく通う事で、その分で失う健康をなんとかしています。銭湯、大好き。)
ストレッチに関しては、数年前にパントマイムの基礎、エティエンヌ・ドゥクルーが、創ったミーム・コーポレイルを、学んだ時に、かなり集中して取り組んだので、もう今は身体が覚えて移動中の電車の中でも、身体をほぐす事が出来るようになりました。
Bachが流れる中、身体を解体していくドゥクルーは、いつ観ても、感動的です。
身体とギターの関係性に悩み、身体を壊したときに、僕は彼に出逢いました。
学んでいる中で、やはりつくる方向に心が向いていき、京都芸術センターや京都文芸会館で作品化したのは、少々、やり過ぎだったのではと、最近、また、反省してます。
そう思えば「UK」は、反省しきりのバンドかも。
「はあ・・、反省しきりやな・・。」
は、kei-kから。
今もそういった身体のことの時間を持つようにはしているのですが、演奏で忙しい時は中々、難しいですね。
まあ、忙しい時こそ、リラックスしていたいとは思うのですが。
じゃあ、曲をやっている時はどうだろうか、と今日はふと思いまして。
やはり、曲をやっているときにも、そういったスリリングな感覚を僕は求めがちです。
ここで、対象にしている曲は、コード進行がある曲の事です。
音楽の一般的、三要素がある、いわゆる曲の場合は?
リズム、メロディ、ハーモニー。
邦楽の昔の譜面に記載されていないその3つで構成されている楽曲とか、言われているものにアプローチする場合。
篠笛を学んだ時に書かれていた、
音色、口伝で伝わっていく唄、押さえる篠笛の穴の場所。
この狭間に、立たされてしまう事が多いです。
さて、とはいえ、僕は歌謡曲というものがとても、好きだったりもします。
聞いて、お酒飲んで、泣いてたりもします。
単純ですね。
先日も、84歳の方が歌う、「アカシヤの雨にうたれて」で、ぐっと来て泣きそうになったりしてます。
彼の心と、彼が培った長い人生と経験、僕にはみえないが、何故か観ることができた景色を感じられましたから。
そんな、些細なことに、涙が溢れます。
そのあと、ああ、歌を作りたいなと思い、「ソパデラムシカのうた」を作りました。
https://www.youtube.com/watch?v=Y4qKSH8hbdw
「Heal Roughly+Take-Bow」
柳川芳命(a.sax)
Meg(drums)
guest
Take-Bow(guitar)
名古屋、「なんや」での大切な時間です。
もうすぐ、発売開始。
よろしくお願いします。
お楽しみに。
やっぱり、カッコいいですね。特に、Marc Ribotの姿勢と歌に、しびれます。
お金が無く、Parisの路上と、メトロで、お金を何とか、得ていた頃に、たまたま、劇場で、出逢ったMarc Ribotは、いつも、気になる人です。サインをしてもらった、改造ギターはいつも、ついつい、眺めてしまいます。
柳川芳命さんとMegさんのこと。
柳川さんの、音をZACで聴いた。
「パッ」
ていう音から始まって。
「わーっ」て思って、気がついたら、拍手してた。
なんせ、嬉しかったから。
その嬉しさは、文字なんかにしたくない嬉しさだ。
僕が知ってる、柳川さんの音は「パッ」ていう音から始まってる。
柳川さんと、今、DUOをしているMegさんと、僕は今年にParkerで共演してて。
それは、とても、印象的な夜だった。
MegさんのDrumは、迷いの無い足音と
「ガララララー」
っていう、スネア(かな?多分。)のロールで始まっている。
気が付いたら、思わず、デイストーション ペダルを踏んでいた。
しばらくは、クリアな音で、ゆっくり行こうかと思っていたにも、関わらず。
二人の音をLiveで聴いているのに、二人のDUOをまだ、Liveで、僕は聴いたことがない。
名古屋で、やっと、初めて、二人のDUOが聴ける。
その時に、来賓として、そのLiveに参加してギターが弾けること。
それは、随分、路地裏ギタリストには、身の丈に合わない贅沢な話だと思います。
「まあ、一丁、ワラジを履いて、いってみるか!!」
という、今日この頃です。
柳川さんとMegさんに感謝をこめて。
2018年1月10日(水)
Heal Roughly
柳川芳命(a.sax)
Meg(drums)
[guest]
take-bow(guitar)
(from kyoto)
なんや
名古屋市昭和区塩付道1-47-4
TEL:052-762-9289
http://www.nanyagokiso.com/
http://www.nanyagokiso.com/event.html
思考するギタリストの身体性について
思考するギタリストの身体性について
子供の頃に藤森神社で、毎年の5月5日に、篠笛を吹いていたときに、少しばかりだけど考えていたこと。
理想としてだけど・・・、
「身体が動いて、音が紡がれ、また、その音を聴いて音を紡ぐ状態にならないものだろうか。
そこに、ぼんやりと他の事を聞けたら良いのになー。」
そんなことを、神社で、深夜に笛を吹きながら思っていたのは、記憶に鮮明で。
「そう、出来たら、きっと気持ちが良いだろうな。」
そう、思ったのは、とても良く覚えていて。
そんな事が発端だったかと思う、今日この頃です。
そう、思って篠笛を吹く子供には容易く、20代を越えた後、ギターを弾く僕には、とても、ハードルの高い事だった。
「身体が動いて、音が紡がれ、また、その音を聴いて音を紡ぐ。」
理想だけど、それは、とても、難しく、一旦、ギタリストとしての自分を捨てなければ、と思った時があった。
一旦、身体の事を見つめ直し、その後、その身体で音を出していくことはできないだろうか。
その後、一旦、3年くらいのギターを持たない身体を学ぶ時間を経て、もう一度、ギターを弾き始めることになって。
勿論、その後の新しいかもしれない身体でギターを弾くのが、何よりの目的で、そんなことが、些細な理由だったから。
まあ、色んな事があって。
そのことについて、四苦八苦し、右往左往する道行で、何故か、Kei-kと、なんだかんだで、UKになり、「今、その時」を大切にしていたら、Megさんがいてた。
まあ、そんな、感じです。
これからも、よろしくです。
WALLACE COLEMANのこと
今、何を弾くべきか、今、何を弾かずにいて、空間を大切にすべきかを人前である舞台で、その都度、選択していくかはとても難しい、演奏者に求められる課題だと思います。何を演奏したかでは無く。WALLACE COLEMANの演奏は、そこをBLUESの中で、難なく泳いでいく根本的な力強さを感じます。共演したときに感じたのもそんなところです。経験した、そのことを大切に、ギターを弾いていきたいと思う今日です。まあ、そんなところが、僕の原点だと思います。今、出している音に、いつも責任と今、この瞬間を感じたいですが、中々出来ません。そんな自分を反省しつつ、前に何とか進むしか無いですね。
アメリカで、共演した後、WALLACE COLEMANが日本に、京都の僕の住んでいたアパートに送ってくれたTAPEを今でもよく、聞いています。BLUESというジャンルだけではなく、楽器、音楽を演奏することにおいて、何を弾くべきかを教えてくれるからです。そのことを今、なおさら大切にしたいです。
Wallace Coleman
昔、アメリカでRobert Lockwood.JrのHarp奏者、Wallace Colemanのバンドに入って演奏したことがありました。今はFacebookもされていて、元気そうでなによりです。もう20年くらい前の事で。青いストラトキャスターを弾いて共演したのを覚えています。かっこよかったー。
渡航費別で、6万円持って、行ったアメリカでした。まあ、3週間目でお金が無くなりまして。そこからが、面白いんですけど。そこからは、ネットには書けない...事もないようなあるような。で、3ヶ月いてる中で、本当に色々な事があって。懐かしいですね。共演した時のWallece ColemanのHarpは今も心に突き刺さるくらい凄くって。そんな記憶を大切に今もギターを弾いております。また、アメリカに来る予定は無いの?というWallaceの一言に、あー、頑張って大切に1音、1音、弾いていかなきゃなーと思う今日、一日でした。
そんな訳で、WallaceのHPです。
Welcome To Wallace Coleman .Com
これは、yasu-take。
CAFE INDEPENDENTSにて。
随分、昔の事ですが。なんだかんだいって、僕の大切なDUOには違いないです。
弦を1本、弾くたびにそう感じますから。
1本の弦に駆け抜ける記憶と明日、弾く弦の狭間で右往左往する今日この頃です。そんな、狭間で今を感じながらですね。やれやれというところでしょうか。